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″穴″については、あとで詳しく説明することとして、ここでは″気のパワー″をもらいやすい場所というようにおぼえておいてください。
これまでの説明でおわかりのように、″穴″を探すことは、風水師の大きな仕事だといってよいでしょう。
だからこそ、大地の気の流れをつかみ、″穴″を探すことのできる風水師が、中国の歴代の権力者たちに求められてきたのです。
なぜなら、うまく″穴″を探し出せば、その一族の支配は安定し、子孫が繁栄することは間違いないからです。
徳川家康も風水のパワーを駆使して天下をおさめた風水を使って天下をとったのは、なにも中国の皇帝ばかりではありません。
日本にも風水は昔から伝わり、ごく一部の人がその力を生かしてきました。
古くは、藤原(中臣)鎌足の息子である藤原定恵・不比等の兄弟が、すぐれた風水師であったことがわかっています。
藤原鎌足といえば、ご存じのように中大兄皇子とともに大化の改新を断行した人物です。
その息子の不比等は、元明天皇の命を受けて、平城京(現在の奈良市)の地を選定した人物として知られています。
藤原不比等が、大和三山の北の地を選んだのはこの土地が風水学の観点から看てすぐれた地形(泳楸他鵬の理というものにかなった地形)であったからにほかなりません。
定家・不比等の兄弟がすぐれた風水師だという証拠として、この兄弟にまつわる遺跡が、我われのような風水師の目から見て、すばらしい場所に位置しているということもあげられます。
さらに、父親の墓まで改葬するという念の入れようです。
藤原氏がこの後長く栄えたのも、この効果が現われたからでしょう。
細川元首相の祖父である近衛文磨は、藤原氏の血を引いていました。
時はくだって、戦国時代です。
私は以前、武田信玄にまつわる場所を、あちこち見てまわったことがあります。
すると、城をとってみても先祖の墓をとってみても、どれも大地の気のパワーを手に入れることのできるすばらしい場所にあったことがわかりました。
とはいっても、信玄が風水を知っていたかどうかはわかりません。
直観的にいい場所を選んでいたのかもしれません。
しかし、いずれにしても、あれだけの傑物が生まれた理由が私にははっきりとわかりました。
それほど、すぐれた土地だったのです。
ところが、あまりによすぎるのも考えものです。
たとえば、武田氏の氏神である武田八幡神社は、たしかに気の流れの上に建っていました。
しかし、その場所ではまだ気が動きすぎていたのです。
土地の運、つまり土地の気の流れは時間とともに変化するものです。
気が動きすぎる場所では、何年かの時間が過ぎてしまうと、その土地の運が大きく変わってしまいます。
そのためか、あれほど勢いのあった武田氏も、信玄の亡きあとはあっけなく滅びてしまったのです。
それにくらべると、江戸幕府を開いた徳川家康こそ、風水の力で天下を治めた人物といってよいでしょう。
家康には、天海という僧がブレーンについていましたが、この天海がそうとうに腕の立つ風水師だったようです。
家康は、居城を江戸城に定めましたが、これは太田道濯の築いた城をわざわざ打ち壊してつくりなおしたものです。
なぜ、このような面倒なことまでして江戸城にこだわったかというと、この地が風水師の目から見ると、この上なくすばらしい場所だからです。
現在、皇居となっているこの付近は、富士山や秩父山地から流れてくる大地の″気″が、″穴″を結んでいる場所にほかなりません。
この″穴″の地に城を置くことによって、家康は大地のエネルギーをわがものにしようと考えたのでしょう。
″穴″には気のパワーが充満しています。
もっとくわしく言いますと、その土地のもつ電気量が高いのです。
高いボルテージをもった土地ということです。
その力が人を集め、金を集めて、ついには江戸、東京は世界有数の大都市に発展していったのです。
そう考えてみると、現在の皇居付近に国会議事堂や各省庁、大企業の本社といった重要な施設が集中しているのもおわかりいただけることでしょう。
そういえば、国会議事堂自体にも風水の考えがとり入れられています。
地図で見ればおわかりのとおり、国会議事堂は西を向いて建っています。
風水学でいえば、これは「酉」の方位であり、官公庁や役人に適した方位なのです。
とはいえ、これだけなら偶然の一致かもしれません。
ところが、驚くべき事実があったのです。
みなさんは、国会の開会式をテレビなどでごらんになったことがあるでしょうか。
国会の開会式は、議事堂の向かって右側にある参議院の議場で行なわれます。
このときには天皇陛下も臨席しますが、その席の向きがなんと議場と九十度の角度をもっているのです。
つまり、議場は西向きなのですが、天皇の席は真南を向く方位なのです。
あまりにも不自然な形ではないでしょうか。
しかし、この真南を向く方位こそが「子」の方位といって、高貴な方位とされているのです。
このような、一見不自然な形までとって、きっちりと方位をとっていくというのは、風水の知識がなければ絶対にできないことです。
さて、家康に話がもどりますが、家康は死後に遺体を日光の地に安置するように遺言しています。
これも、天海僧正の提案にちがいありません。
日光東照宮の地も、風水の目で看るとじつにすばらしいところです。
こんな地に墓をつくったことも、徳川幕府の体制が三百年近くも続いた大きな理由になったことでしょう。
たしかに、家康は指導者としてすぐれた能力をもっていました。
しかし、それに加えて風水をうまく利用したことで、あれほどの成功を手に入れることができたのです。
それにくらべて、豊臣秀吉は風水を利用した形跡がありません。
私は秀吉の墓も看ましたが、風水学からいって、指導者の墓としてはかならずしもよい場所にはありませんでした。
秀吉はすぐれた能力をもっていましたが、風水を知らなかったために家康と大きな差がついてしまい、結局はつぎの時代をつくれなかったのです。
気が悪いところに住めば健康も損なわれるさきほど私は、大地の気の流れをつかみ、そのツボ、つまり″穴″を探すのが風水師の仕事だといいました。
これは一見簡単そうに見えるかもしれませんが、なかなかむずかしい作業なのです。
″穴″というのは、気の流れがゆるやかになって、気が充満している地点です。
ところが、″穴″の場所だと思ったら、じつはたんに気の流れがよどんでいる場所だったということもありえます。
そんな場所に家を建てて住んでしまったら、大地の気のパワーを受けるどころか、濁った気を身に浴びてしまうことになります。
これでは、健康な人もじきに病気になってしまうことでしょう。
このように、大地には″いい場″と″悪い場″があることを覚えておいてください。
豊臣秀吉の墓は、この″悪い場″にあったために、その死後に一門は没落してしまいました。
風水を知らないふつうの人が見ると、豊臣秀吉の墓はなかなかいい場所に建てられていると思うかもしれません。
というのも、「京の都を一望できる場所に」という遺言にそって、京都の東にある阿弥陀ヶ峰の山上という、見晴らしのいい場所に墓があるからです。
ところが、ここは風水で見ると、とてつもない凶相の地なのです。
山がまわりから突出しており、八方からまともに風を受けてしまっています。
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